2009年1月5日月曜日

ムンバイ住宅事情(サービスアパート編)

一軒目のアパート(こちらではフラットという)交渉が土壇場でオジャンとなってしまった私たち家族は、しばらくホテル暮らしをすることに。

これまでの経験及び駐在者の皆さんのお話から、やはり、期限を決めて、いついつまでに入居する、または入居しなければならない、という状況(駐在者としては各社の駐在ルールがあるので仕方がないところもありますが)になると、当り前の話ですが非常に交渉上不利となります。一筋縄ではいかないインド人大家は、こちらの足元を見て、色々な条件を提示してきます。時間と人件費が”只もしくはほとんど只”のインドでは、時間を区切った交渉事はすべて相手を有利にしてしまいます。

また、幸運にも一旦話がまとまったとしても、契約前に約束していた設備や備品が入居時にないなんてことは当たり前です。ヘタをすると、退去するまで、何もしてもらえないことだってあるらしいです。ですので、決してすべて契約書にあるものが揃うまで、家賃はもちろんのこと、できればディポジットもを払うべきではないと思います。彼らにとっての口約束(時には書面による契約書すら)は、あくまで”努力目標”くらいの感覚です。当然、彼らに誠意などというものを期待してはいけません。他人に対する誠意は、自分の損と考えるのが、インド人の常識です。

ということで、私たち家族は、時間というハンディキャップをしょい込むのを避け、徹底的にインド人大家と戦うべく、ホテルを仮住まいにして、物件探しに奔走しました。
 
苦労のかいもあり、まずまずのロケーション(希望通りのオーシャンビュー♪!)で、4BDRMを3BDRMに改築させ、風呂とイタリア製キッチンキャビネット他、インドで考えられるベストの白物家電を準備させることで折り合いがつきました。(下の写真は部屋の改築風景、かなり大規模です。)









なんとか気に入った物件を見つけ、こちらのペースで改築をさせることになり、あと数週間で入居できそうだ、というタイミングで、あのテロ事件が発生しました。会社の方針から、滞在中のホテルを退去し、サービスアパートメントと呼ばれる長期滞在型のコンドミニアムへ住居を移すことに。。。

当初想像していたものより、遙かに暮らしやすく、大変気に入っています。2BDルームに広いリビングが併設され、キッチンがあるので、簡単な日本食なら自炊可能です。おまけに掃除、皿洗いなどは全てメイドさんがやってくれますので、妻にとっては夢のような生活のようです。フラットにくらべ、若干割高ですが、電気、水道、メイドの費用を考えれば、実は非常に割安かもしれませんね。。。単身者、及び大家族でない方には、予算が許すのであれば、こういったサービスアパートメントに入居されることをお勧めします。5つ星ホテルと遜色ない設備・サービスを利用できて、それらホテルより遙かに広いスペースで暮らせます。                                   

2009年1月1日木曜日

A Happy New Year

怒涛の2008年が終わり、新たな年をこのムンバイで迎えることになりました。この3か月というもの、いろんな事が次々に起こり、ずっとブログがご無沙汰でしたが、心機一転、自分の「生活のリズムを作る」ということ、そして、「記録を残す」という意味で、このブログを続けたいと考えています。

この3か月に起こった衝撃的事件及びその顛末は、これから少しずつ書き足してゆきますので、もしこのブログを見ていらっしゃるかたが居れば、お楽しみにしてください。

【ムンバイ元旦事情】
コスモポリタンが多く住む(らしい?)このムンバイでは、大晦日の過ごし方が他の都市とかなり違うらしい。話が飛んで申し訳ありませんが、私の常識では、1月1日は、大抵の国で祭日ですが、このインドでは、なんと平日。街の皆様も普通に仕事しているようでした。わが社をはじめ、多くの外資系企業では、やはりこの時期は1週間程度の長期休暇になるので、時給扱いのドライバーやお茶ボーイを除き、社員達はとてもラッキーな時期でもあります。)

話を大晦日、元旦に戻しましょう。
通常、5つ星ホテルをはじめ、多くの大規模ホテルでは、ニューイヤーカウントダウンのイベントが行われ、ボリウッドのセレブ達を招待し、各ホテル、沽券にかけて盛大なパーティーを催すとのこと。(一説によれば、これらのホテルはボリウッド俳優を呼んで、10分くらい会場で踊ってもらうだけのために、数千万円を支払うらしい・・・・)
しかしながら、2008年は、例のテロ事件の為、自粛ムードが広がり、オベロイ、タージ、マリオットといった派手好きなホテルが恒例のニューイヤーパーティーを取りやめ、なんとも寂しい大晦日となったようです。金融危機の影響が以外に小さいこのインドでも、あのテロがボリウッドに及ぼした影響は小さくなかったようでした。

しかーし、私たち家族が一時滞在しているホテルでは、盛大にカウントダウンパーティーが行われました。さすがにボリウッドセレブは招待されていなかったようですが、当日のゲストをはじめ、常連客達を招待し、無料で飲み食いさせていました。私たち家族も御相伴にあずかり、豪華な食事を楽しみました。
なかなか良かったのは、いよいよカウントダウンというタイミングで、ホテルのコックさんたちを含め全ての従業員がダンスフロアーへ繰り出し、踊り狂いはじめたところです。
ほんとにインド人はダンスが大好きですね。

2008年11月26日水曜日

テロ発生

会社関係者との夕食を終え、仮住まいではあるが家族の待つホテルへの帰宅途中、私のドライバーが血相を変えて、”Boss, Japanese Businessman from (会社名) was Shot!! at Trident Hotel, my brother call me, He was with them”と叫びました。そこは、私が1ヶ月ほど前約2週間滞在していたこともある、南ムンバイの有名ホテルです。周辺にある日系企業の出張先として駐在者なら誰もが一度は訪れたことのあるあのホテルでした。 ”あー、ご不幸にも、何か変な事件に巻き込まれたんだなー”というのが最初の感想でした。しかし、考えてみればこれがあの悪夢のような事件の始まりでした。

撃たれた方は、私の会社と取引のある会社にご出張にいらっしゃっていた方でしたので、すぐに先ほどまで一緒に食事をしていたその会社のK氏へ連絡し、上司の方に連絡を取るよう意見しました。レストランからホテルへ向かう途中にも、安全確認のルーティンで、上司および日本人駐在者への連絡を始めましたが、幸い皆無事でした。15分ほどでホテルへ到着し、子供が寝ていたこと もあり、妻とVIPラウンジでその後の状況を確認しようとしたのが9時ちょっと過ぎ。そのタイミングでは、ホテル従業員を含め、誰もその事件のこと知りませんでした。TVのチャンネルをローカルニュースに変えて、事件の状況を確認し始めると、それが単なる銃撃事件ではないことが伝わってきます。しかし、ここはその事件の場所から40KM以上離れた場所。それほど安全に不安はありませんでした。日本人会の間でも、だんだんと電話連絡が密に取られ始めたのが、午後11時頃。TVのニュースでも、ギャング同士の抗争といった報道でしたので、そろそろ寝るか、くらいのものでしたが、その眠気を一気に覚ます電話が上司からありました。「大丈夫か!お前の居るホテルでも銃撃戦やってるみたいだぞ!窓から顔を出すなよ!」これまで聞いたことがないような緊張感で、上司が叫びます。また、別の日本人会の方にもお電話いただき、同様の心配をしていただきました。どうも、TVで誤報が流れたようでした午前2時過ぎ、まっ先に事件を知らせたK氏より電話があり、”○○さんは残念ながら亡くなられました・・・”との訃報。胸が張り裂けそうな思いと、自分の家族の安全確保への焦りがごちゃまぜになって、しばらく口がきけませんでした。また、その時まだ、複数の日本人出張者と私のよく知る駐在者の方々がホテルで軟禁されていることなど、まだまだ予断を許さない完全な異常事態が続いていました。

まだ赴任して数か月しか過ぎていない自分にも、このとき誰がこのような事件を起こすか容易に想像できました。案の定、まだ犯人が立てこもりを続けている早い段階で、インド政府はパキスタンの関与を明言していたのでした。しかしながら、これはかなり危険な思い込みかもしれませんので、個人的な推測とさせてください。とはいうものの、インド国内では、今年に入ってすでに4件の大きなテロ事件が起きていましたので、一般論としてそう考えるのは無理もないことです。しかしながら、これまでの一連のテロ事件から考えても、”次はムンバイ”というのが、誰もが認める暗黙事項だったと思います。しかし、その日その瞬間まで、私も含め、誰も真剣にその危機について想像していなかった、準備していなかった、というのが、本当のところだと思います。後日、新聞報道でもありましたが、この国は色々な惨事が起っても、一時しのぎの泥縄的な対策を取ろうという機運が高まるだけで、具体的なアクションを取ることがこれまでなかったようです。これもかなりインドの国民性を表している気がします。この事件を機に、真剣にこの国が、テロの根源的な原因究明と、その対策を取ってくれることを願っています。(アメリカみたいに、短絡的なアクションだけでは、決してテロはなくならないと強く思うんですよね。)

2008年10月31日金曜日

ゴルフ修行 in Thailand

ディワリの長期休暇と仕事を兼ねて、行って参りましたタイランド。主目的は勿論”ゴルフ”です。7日間で周りも周った5コース6ラウンド。結果は。。。。

散々でしたねー。軟弱なインドゴルファーを全く寄せ付けない厳しいコース。ある程度は行ける!という感触を持って挑んだんですけど、酷い結果でした。平均スコアで100切れなかったんじゃないかな。。。けれども、「転んでも只では起きない」を座右の銘にするべく、自分に足りないものをしっかりと掴んできましたよ。それは、”寄せ” です。ドライバーの曲りよりも、ノーカンパットよりも、やはり大切なのは ”寄せ” 。それを実感しました。上手い方は、やはり一打目を帳消しにする二打目を打てるんですね。。。。(私の場合は、一打目を台無しにする二打目が得意なんですが。。。) ラウンドが終わったら、即ドライビングレンジ直行!(こんな施設が充実しているのもタイの素晴らしいところですねー)で500球くらい短いアイアンの特訓をしてきました。元々練習は大好きなので、少々叩いても疲れません(丈夫な身体に生んでくれた両親に感謝)。ムンバイに戻ったら、ラウンド前の2時間、たっぷり”寄せ”の練習しまくるぞー!
今回はスコアはお恥ずかしいので掲載しませんが、上手くできたときは、調子に乗って掲載してゆきます!

2008年10月5日日曜日

ムンバイ住宅事情(大家との交渉編)その1

色々な方がブログで書いていらっしゃるように、ムンバイでの住宅確保は本当に大変です。理由を箇条書きにすると、
1)外国人向け物件が少ない
2)居住地区が限定されている
3)情報が圧倒的に不足
4)大家との交渉が無茶苦茶大変
といったところでしょうか。
上記の1)~2)については、いろんな方々が叙述されているので割愛しますが、3)と4)については、私の体験を踏まえ、少し突っ込んで書いてみたいと思います。


【不動産物件の情報不足】
IT大国と豪語する割には、この手の不動産情報が全くインターネットで検索できません。不動産情報は、すべて不動産エージェントを通じて、彼らの知人の紹介物件のみにアクセスできます。ですので、何件の物件を見て回れるかは、彼らがどれほど友達もしくは親類がいるかにかかっています。(笑)これまで、4社を使い、30件以上見学に行きましたが、どれもこれも、提示した条件(5つくらい)のうち、良くて2つ、悪ければなにもあてはまらないものばかりでした。不動産会社の横のつながりがないため、業者が紹介する物件がダブることはないので、良いのですが、いかんせん見学に行くのがいちいち大変で日本では信じられないことばかりです。まず、紹介する物件を、不動産会社の社員が見たことがないため、どこに行くにも道を聞きながらいくことになります。さらに、不動産会社の信用がないためか、物件の鍵を預かっていませんので、必ず大家が鍵を持って来るまで現地で待たされます。間取りも、家族構成などをきちんと伝えて、ベッドルームの数、全体の広さ等リクエストしているにも関わらず、行ってこの目で見るまでは、全く信用できません。更に、価格については、いつも"Negotiable"という枕詞がついて、これまた事前に確実な価格を教えてもらえません(だから見当はずれな物件ばかりでてきます)。頼みのエージェントが全くと言っていいほど紹介する物件の情報を持っていないんですから、不動産探しが難航するのは当たり前ですね。。。。

不動産を見て回っていつも感じたのですが、この国で、システマティックで、きちんとした情報を提供できる、富裕層、外国人向けの不動産紹介会社を作れば、確実に成功すると思います。是非日本の不動産紹介業界には注目してほしい市場だと思いますよ、ほんとに。。。。

【大家との交渉】
一旦妥協できそうな物件が見つかっても、上述のような事情(特に価格)もあるため、大家さんとの交渉が一筋縄ではいきません。間に何人も利害関係者がいるようで、大家さんとの直接交渉という場面(だいたい、何で直接交渉が必要なんだよ!何のためのエージェントなんだ!)にも、少なくとも10人くらい、大家側、テナント側の人間が出席します。英語もまともに話せない、計算も上手くできない奴ら(これについてもインド人の英語力というブログをいつか書きます)が、うじゃうじゃいて、交渉の場にいた、という既成事実を積み上げてゆきます。(後で、俺もこの商売に協力したから、分け前をくれ!ってとこみたいですけど)。更に悪いことに、この街(おそらく国レベルでも)での不動産神話は、20年前の日本をはるかに凌駕します。ここ2~3年のトレンドの影響もあるんでしょうけど、価格が上がる話しかしませんね。。。ある意味ナイーブで幸せな人たちです。上記1)、2)のこともあり、基本的に物件は貸し手市場となっているため、どう考えても無茶な要求を、”駄目元(またこの話は詳しく書きたい!)で言ってきます。なんとか前提条件を整理し、価格に折り合いがついたと思っても、まだ安心できません。契約書を交わす直前まで、気が抜けない交渉を仕掛けてきます。私が体験したのは、「支払額はフィックスしてよいが、契約を2つに分けてくれ。ひとつは家賃、もうひとつは 家具のレンタル料」。まぁ、節税したいんだろ、くらいに思っていた私は、いいよ、と軽く答えたのですが、あとから送られてきた契約書には、「家賃1割、家具9割」の価格が書いてありました。いくらなんでも、ソファーひとつ(私は、家具の大半を日本から運びこんでいて、家具つきの家を探す必要がありませんでした)にそんな費用払う馬鹿いないだろ!その件でもめるだけもめて、結局この契約はご破算となりました。。。。。。結構良い物件(右下写真)だったので残念です。。。


2008年9月24日水曜日

インド人考察1(愛国心編)

あるインド関係の本で読んだと思うが、インド人はインドが大好きだという。インドに関わり始くめてはや2年が過ぎましたが、この意見は確かに正しいと感じています。 まぁ、どこの国の人でも、大抵、愛国心の欠片があるだろうから、自分の国を好きだと思うこと、口に出していうことは理解できるんだけど、ことインド人の自国に対する感情はかなり熱いものがあります。不思議なくらい無邪気に自国ののことを礼賛する傾向が強い。インド料理が世界の3代料理のひとつだと言ってはばからない輩までいるんです。国民的スポーツであるクリケットが、世界最大の球技(という認識)だし、旧英連邦国家群で行われるコモンウェルス大会にいたっては、勿論オリンピック以上。。。。まぁ”井の中の蛙”的な性格が強く出てますけど。この井戸はかなり大きいので、それもありか。。。。。認めたくないけど。。。。。

また、マスコミの論調も、基本的に”大国インド”を前面に出したものが中心で、自国の主張が国際社会に受け入れられない時も、"すべて国際社会の不理解が原因”ということになります。まぁ日本に居て、インドを眺める分には、微笑ましい限りですが、実際にこちらで生活してみると、かなり鼻につきます。というか、時々怒りすら覚えますね。日本人は、必要以上に自国を卑下する傾向が強いと思いますが、インド人は、全く逆。これこそ足して二で割ったらちょうど良い感じになるでしょうけどね。。。。

1週間の日本出張

昨夜ムンバイ空港に戻ってきました。実は9月10日~22日、赴任後10日も経たず、日本へ出張でした 
東京はインドに負けず劣らず暑く、少しムンバイが懐かしく感じるほどでした。

仕事の他にも、プライベートでやり残したことがたくさんあり、帰国できたことは実際ありがたかったのですが、実際は、仕事に追いまくられて、ほとんどやらなきゃならないことができませんでした。残りは、残してきた妻に全てお任せとなってしまいます。前回米国に赴任したときも、これに近い状態で、家族には大変迷惑をかけました。今回こそは、きちんと手伝って、妻の負担をできるだけ減らしたいと考えていましたが、予定していた年休も1日しかとれず、インドへの戻りを2~3日遅てらせようにも、すでに現地ではアポイントメントが入っており、それもならず。どうしてこうもぎりぎり綱渡りのような赴任になるのかな~?会社の規定では、出向終了後の帰国すると、2週間程度の休みが付与されます。できれば、出向前にも同様の準備期間が必要だと感じています。是非会社に提案してみたいと考えます。