2008年11月26日水曜日

テロ発生

会社関係者との夕食を終え、仮住まいではあるが家族の待つホテルへの帰宅途中、私のドライバーが血相を変えて、”Boss, Japanese Businessman from (会社名) was Shot!! at Trident Hotel, my brother call me, He was with them”と叫びました。そこは、私が1ヶ月ほど前約2週間滞在していたこともある、南ムンバイの有名ホテルです。周辺にある日系企業の出張先として駐在者なら誰もが一度は訪れたことのあるあのホテルでした。 ”あー、ご不幸にも、何か変な事件に巻き込まれたんだなー”というのが最初の感想でした。しかし、考えてみればこれがあの悪夢のような事件の始まりでした。

撃たれた方は、私の会社と取引のある会社にご出張にいらっしゃっていた方でしたので、すぐに先ほどまで一緒に食事をしていたその会社のK氏へ連絡し、上司の方に連絡を取るよう意見しました。レストランからホテルへ向かう途中にも、安全確認のルーティンで、上司および日本人駐在者への連絡を始めましたが、幸い皆無事でした。15分ほどでホテルへ到着し、子供が寝ていたこと もあり、妻とVIPラウンジでその後の状況を確認しようとしたのが9時ちょっと過ぎ。そのタイミングでは、ホテル従業員を含め、誰もその事件のこと知りませんでした。TVのチャンネルをローカルニュースに変えて、事件の状況を確認し始めると、それが単なる銃撃事件ではないことが伝わってきます。しかし、ここはその事件の場所から40KM以上離れた場所。それほど安全に不安はありませんでした。日本人会の間でも、だんだんと電話連絡が密に取られ始めたのが、午後11時頃。TVのニュースでも、ギャング同士の抗争といった報道でしたので、そろそろ寝るか、くらいのものでしたが、その眠気を一気に覚ます電話が上司からありました。「大丈夫か!お前の居るホテルでも銃撃戦やってるみたいだぞ!窓から顔を出すなよ!」これまで聞いたことがないような緊張感で、上司が叫びます。また、別の日本人会の方にもお電話いただき、同様の心配をしていただきました。どうも、TVで誤報が流れたようでした午前2時過ぎ、まっ先に事件を知らせたK氏より電話があり、”○○さんは残念ながら亡くなられました・・・”との訃報。胸が張り裂けそうな思いと、自分の家族の安全確保への焦りがごちゃまぜになって、しばらく口がきけませんでした。また、その時まだ、複数の日本人出張者と私のよく知る駐在者の方々がホテルで軟禁されていることなど、まだまだ予断を許さない完全な異常事態が続いていました。

まだ赴任して数か月しか過ぎていない自分にも、このとき誰がこのような事件を起こすか容易に想像できました。案の定、まだ犯人が立てこもりを続けている早い段階で、インド政府はパキスタンの関与を明言していたのでした。しかしながら、これはかなり危険な思い込みかもしれませんので、個人的な推測とさせてください。とはいうものの、インド国内では、今年に入ってすでに4件の大きなテロ事件が起きていましたので、一般論としてそう考えるのは無理もないことです。しかしながら、これまでの一連のテロ事件から考えても、”次はムンバイ”というのが、誰もが認める暗黙事項だったと思います。しかし、その日その瞬間まで、私も含め、誰も真剣にその危機について想像していなかった、準備していなかった、というのが、本当のところだと思います。後日、新聞報道でもありましたが、この国は色々な惨事が起っても、一時しのぎの泥縄的な対策を取ろうという機運が高まるだけで、具体的なアクションを取ることがこれまでなかったようです。これもかなりインドの国民性を表している気がします。この事件を機に、真剣にこの国が、テロの根源的な原因究明と、その対策を取ってくれることを願っています。(アメリカみたいに、短絡的なアクションだけでは、決してテロはなくならないと強く思うんですよね。)

2008年10月31日金曜日

ゴルフ修行 in Thailand

ディワリの長期休暇と仕事を兼ねて、行って参りましたタイランド。主目的は勿論”ゴルフ”です。7日間で周りも周った5コース6ラウンド。結果は。。。。

散々でしたねー。軟弱なインドゴルファーを全く寄せ付けない厳しいコース。ある程度は行ける!という感触を持って挑んだんですけど、酷い結果でした。平均スコアで100切れなかったんじゃないかな。。。けれども、「転んでも只では起きない」を座右の銘にするべく、自分に足りないものをしっかりと掴んできましたよ。それは、”寄せ” です。ドライバーの曲りよりも、ノーカンパットよりも、やはり大切なのは ”寄せ” 。それを実感しました。上手い方は、やはり一打目を帳消しにする二打目を打てるんですね。。。。(私の場合は、一打目を台無しにする二打目が得意なんですが。。。) ラウンドが終わったら、即ドライビングレンジ直行!(こんな施設が充実しているのもタイの素晴らしいところですねー)で500球くらい短いアイアンの特訓をしてきました。元々練習は大好きなので、少々叩いても疲れません(丈夫な身体に生んでくれた両親に感謝)。ムンバイに戻ったら、ラウンド前の2時間、たっぷり”寄せ”の練習しまくるぞー!
今回はスコアはお恥ずかしいので掲載しませんが、上手くできたときは、調子に乗って掲載してゆきます!

2008年10月5日日曜日

ムンバイ住宅事情(大家との交渉編)その1

色々な方がブログで書いていらっしゃるように、ムンバイでの住宅確保は本当に大変です。理由を箇条書きにすると、
1)外国人向け物件が少ない
2)居住地区が限定されている
3)情報が圧倒的に不足
4)大家との交渉が無茶苦茶大変
といったところでしょうか。
上記の1)~2)については、いろんな方々が叙述されているので割愛しますが、3)と4)については、私の体験を踏まえ、少し突っ込んで書いてみたいと思います。


【不動産物件の情報不足】
IT大国と豪語する割には、この手の不動産情報が全くインターネットで検索できません。不動産情報は、すべて不動産エージェントを通じて、彼らの知人の紹介物件のみにアクセスできます。ですので、何件の物件を見て回れるかは、彼らがどれほど友達もしくは親類がいるかにかかっています。(笑)これまで、4社を使い、30件以上見学に行きましたが、どれもこれも、提示した条件(5つくらい)のうち、良くて2つ、悪ければなにもあてはまらないものばかりでした。不動産会社の横のつながりがないため、業者が紹介する物件がダブることはないので、良いのですが、いかんせん見学に行くのがいちいち大変で日本では信じられないことばかりです。まず、紹介する物件を、不動産会社の社員が見たことがないため、どこに行くにも道を聞きながらいくことになります。さらに、不動産会社の信用がないためか、物件の鍵を預かっていませんので、必ず大家が鍵を持って来るまで現地で待たされます。間取りも、家族構成などをきちんと伝えて、ベッドルームの数、全体の広さ等リクエストしているにも関わらず、行ってこの目で見るまでは、全く信用できません。更に、価格については、いつも"Negotiable"という枕詞がついて、これまた事前に確実な価格を教えてもらえません(だから見当はずれな物件ばかりでてきます)。頼みのエージェントが全くと言っていいほど紹介する物件の情報を持っていないんですから、不動産探しが難航するのは当たり前ですね。。。。

不動産を見て回っていつも感じたのですが、この国で、システマティックで、きちんとした情報を提供できる、富裕層、外国人向けの不動産紹介会社を作れば、確実に成功すると思います。是非日本の不動産紹介業界には注目してほしい市場だと思いますよ、ほんとに。。。。

【大家との交渉】
一旦妥協できそうな物件が見つかっても、上述のような事情(特に価格)もあるため、大家さんとの交渉が一筋縄ではいきません。間に何人も利害関係者がいるようで、大家さんとの直接交渉という場面(だいたい、何で直接交渉が必要なんだよ!何のためのエージェントなんだ!)にも、少なくとも10人くらい、大家側、テナント側の人間が出席します。英語もまともに話せない、計算も上手くできない奴ら(これについてもインド人の英語力というブログをいつか書きます)が、うじゃうじゃいて、交渉の場にいた、という既成事実を積み上げてゆきます。(後で、俺もこの商売に協力したから、分け前をくれ!ってとこみたいですけど)。更に悪いことに、この街(おそらく国レベルでも)での不動産神話は、20年前の日本をはるかに凌駕します。ここ2~3年のトレンドの影響もあるんでしょうけど、価格が上がる話しかしませんね。。。ある意味ナイーブで幸せな人たちです。上記1)、2)のこともあり、基本的に物件は貸し手市場となっているため、どう考えても無茶な要求を、”駄目元(またこの話は詳しく書きたい!)で言ってきます。なんとか前提条件を整理し、価格に折り合いがついたと思っても、まだ安心できません。契約書を交わす直前まで、気が抜けない交渉を仕掛けてきます。私が体験したのは、「支払額はフィックスしてよいが、契約を2つに分けてくれ。ひとつは家賃、もうひとつは 家具のレンタル料」。まぁ、節税したいんだろ、くらいに思っていた私は、いいよ、と軽く答えたのですが、あとから送られてきた契約書には、「家賃1割、家具9割」の価格が書いてありました。いくらなんでも、ソファーひとつ(私は、家具の大半を日本から運びこんでいて、家具つきの家を探す必要がありませんでした)にそんな費用払う馬鹿いないだろ!その件でもめるだけもめて、結局この契約はご破算となりました。。。。。。結構良い物件(右下写真)だったので残念です。。。


2008年9月24日水曜日

インド人考察1(愛国心編)

あるインド関係の本で読んだと思うが、インド人はインドが大好きだという。インドに関わり始くめてはや2年が過ぎましたが、この意見は確かに正しいと感じています。 まぁ、どこの国の人でも、大抵、愛国心の欠片があるだろうから、自分の国を好きだと思うこと、口に出していうことは理解できるんだけど、ことインド人の自国に対する感情はかなり熱いものがあります。不思議なくらい無邪気に自国ののことを礼賛する傾向が強い。インド料理が世界の3代料理のひとつだと言ってはばからない輩までいるんです。国民的スポーツであるクリケットが、世界最大の球技(という認識)だし、旧英連邦国家群で行われるコモンウェルス大会にいたっては、勿論オリンピック以上。。。。まぁ”井の中の蛙”的な性格が強く出てますけど。この井戸はかなり大きいので、それもありか。。。。。認めたくないけど。。。。。

また、マスコミの論調も、基本的に”大国インド”を前面に出したものが中心で、自国の主張が国際社会に受け入れられない時も、"すべて国際社会の不理解が原因”ということになります。まぁ日本に居て、インドを眺める分には、微笑ましい限りですが、実際にこちらで生活してみると、かなり鼻につきます。というか、時々怒りすら覚えますね。日本人は、必要以上に自国を卑下する傾向が強いと思いますが、インド人は、全く逆。これこそ足して二で割ったらちょうど良い感じになるでしょうけどね。。。。

1週間の日本出張

昨夜ムンバイ空港に戻ってきました。実は9月10日~22日、赴任後10日も経たず、日本へ出張でした 
東京はインドに負けず劣らず暑く、少しムンバイが懐かしく感じるほどでした。

仕事の他にも、プライベートでやり残したことがたくさんあり、帰国できたことは実際ありがたかったのですが、実際は、仕事に追いまくられて、ほとんどやらなきゃならないことができませんでした。残りは、残してきた妻に全てお任せとなってしまいます。前回米国に赴任したときも、これに近い状態で、家族には大変迷惑をかけました。今回こそは、きちんと手伝って、妻の負担をできるだけ減らしたいと考えていましたが、予定していた年休も1日しかとれず、インドへの戻りを2~3日遅てらせようにも、すでに現地ではアポイントメントが入っており、それもならず。どうしてこうもぎりぎり綱渡りのような赴任になるのかな~?会社の規定では、出向終了後の帰国すると、2週間程度の休みが付与されます。できれば、出向前にも同様の準備期間が必要だと感じています。是非会社に提案してみたいと考えます。

2008年9月8日月曜日

赴任1週間


ムンバイへ着任し、アッという間の1週間が過ぎました。
外国人登録及び在留許可証をもらいに、FRO(Foreigner Registration Office)へ出向き、現地スタッフのサポートを受けながら、許可証をいただきました。パスポートよりやや小ぶりな手帳のようなもので、中身は手書きで、とても政府が発行する公式の証明書とは思えません。手続きも、やたら不効率で、日本であれば一度にできることを、何度も手間をかけさせます。さすが、究極のワークシェアリングの国です。
(右が在留証明書)


また、着任早々日帰りですが、ハイデラバードへ出張し、丸一日を費やしました。この出張は実りのあるものでしたが、いかんせん地方の空港は都心部から遠く、片道1時間半はゆうにかかります。
この辺は、日本とも事情が似ているかもしれませんね。


しかしながら、ハイデラバードの空港(左)、できたばかりということもあり、我がムンバイ空港とは比べ物にならないくらい充実しています。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ムンバイ・デリーという2大都市の空港は、地方の大都市空港に比べても、非常にお粗末です。よくこれで、国際空港を名乗れるもんだ、といつも思います。


さて、この1週間をさらに短く感じさせたのが、着任早々出くわした、ガネーシャ祭りでした。
※ガネーシャは体が人、頭が象、腕が4本ある、どう見ても怪物なのですが、インドでは非常に人気のある商売の神様です。このガネーシャにまつわる話も結構笑えるものがありますが、どうしてこんなグロテスクなものを崇めたてまつるのか、不思議です。

日曜日について、水曜日はもうお休み。なんだか気が抜けてしまいました。このムンバイでは、ガネーシャが一番人気の神様で、全国で開催されるこのお祭りの中でも最大の規模になるらしいです。しかし、私が見た感じでは、どこがそんなに盛大なんだ?
しかし、このお祭り、実は7日間も続くとのこと。どうも、9月3日はどうもガネーシャ祭りキックオフのお休みのようです。昼間はそうでもないのですが、夜になるとどこからともなく鉦や太鼓の音が聞こえてきます。それはもう日本のチンドン屋の比ではありません。(左下の写真)
(このお祭りについては、また今度詳細レポートします。)


2008年9月2日火曜日

インドでやりたいこと(その2)

これまで随分時間とお金をかけて、社会人(営業?)必須のゴルフをしてきましたが、学生時代に比べて、腕は落ちるばかり。。。お金の掛け方と、使える時間が反比例しているせいでもあると思いますが、まさに月1ゴルファーならぬ年1ゴルファーである状況を脱し、赴任中に憧れの”シングル”レベルへ到達したいと考えています。

しかしながら、このムンバイのゴルフ事情は悲惨です。ゴルフ場と呼べるところは近隣に2か所。しかもそのうち1か所は工事中のためクローズ。(いつオープンするかどうか分りません。インドですから・・・)車で2時間ほど行ったところに、もう1か所あるらしいですが、かなり高額。ということで、私のゴルフ修行は"Willmingdon Golf Club"という、それはそれは由緒ある(らしい)コースをメインに進めて行くことになりそうです。

このコースは、会員になるため、年会費約$4000かかるらしいです(但し、プレー代は何回通っても無料、ざっと見積もって、年間166回or週3回以上で元が取れそうですが。。。)。多くの日本人駐在員の方が会員でいらっしゃるので、一緒にラウンドしてもらえれば、ゲストとしてRs1200を払うだけです。これにキャディーフィーがRs150。かなり格安ですよね。コースとしては、”狭い”、”短い”、”15ホールしかない”(現在3ホールは工事中)いうトリッキーさで、ムンバイ以外の場所であれば、誰も行かないようなゴルフ場です。(何といっても、唯一ですから。。。)ここの会員になるには、それはそれは厳しい面接が複数回あるそうで、申込から実際に会員権を手にするまで、1年くらいかかるそうです。

すでに何度かラウンドした感想は、いい所から言えば、1)テクニカルなので、正確性が向上しそう、2)ショートゲームは確実に上達、3)ボールボーイを雇えば、打ちっぱなしも可能というくらいですが、悪いところを上げればきりがありません。。。。。特にマナーについては、恐らく地上最低レベルだと思います。インドの上流階級と思しき現地ゴルファーのマナーの悪さは、これまた世界中で悪評高い、日本のお隣の某国のゴルファーと拮抗していると思いました。日本であれば、まず、即出入り禁止となるような行為が横行しています。ここも、忍耐強さを培う貴重な修行の場となること請け合いです。しかし、しかし、ゴルフ場があるだけでも有難い、と感謝の気持ちを忘れず、修行してゆきます。

インドでやりたいこと(その1)

駐在が決まり、新たな生活が始まるにあたり、誰もがそうであるように、私も色々挑戦してみようと思っていることがあります。これまでの生活環境(仕事、家庭など、言い訳は山ほどあるけど・・・)ではなかなかなかできなかったことを、ここで、改めてやってみよう!と考えました。
あまり欲張りすぎて、”虻鉢取らず”になるのはこれまでの悪いパターンなので、これでもかなり厳選してみました。まずは、


その1:20代の肉体を取り戻す!夏休みに取られた恥ずかしい写真のリベンジをやるんだ!
   <HOW?>筋トレを再開。ここでの住居が決まるまで、幸いホテル住まいとなるので、ホテルのジ ムを有効活用し、とにかく毎日エクササイズ!家を決めた後も、今は埃をかぶっている伝説のエクササイズマシン、SOLOFLEX *1で続けるぞー。

*1 SOLOFLEX:私が10代後半~20代前半に流行った家庭用エクササイズマシン。
"NO Pain, No Gain"という有名なCMで一世を風靡。当時、セットで20万円くらいしたと思う。学生の身分では、とても手が出なかったが、5年程前、偶然ブックオフで発見、3000円という、信じられない激安価格であったため、即購入。今でもそのシンプルなデザインは秀逸で、機能的にも最高のマシンだと自己満足している。




















(これ
から下のことは、後日詳細書き込みます。。。。)
         


その2
ングルプレーヤーになる!大学4年で始めて以来、「シングルに最も近い110の王」という不名誉な称号を、この地で返上してみせる! 

その3:ヨガをやる!もともと体が柔軟な性質ではないのに、激しい運動を好むため怪我が多い。幸い妻の趣味がヨガであり、こちらでは先生についてやりたいと言ってるので、それに便乗しよう。帰国する前には軟体動物化していることだろう。
    

その4:CPA資格取。2年前、約80万円の大枚をはたいて決意した米国公認会計士資格であるが、仕事の忙しさにかまけて(出張続きで)半分くらいしか授業に出席できず、挫折中。テキスト、授業DVD一式持ち込み、勉強再開するぞ!
 

その5:禁煙。これはもう10年来の目標。何度も挫折を繰り返す私を、冷やかな目で見守る家族を見返してやる!最近血圧が高く(上が180で下が140!?)、真面目にやめなきゃ、って考えてます。
でも、この唯でさえストレスの貯まる国での生活に、煙草抜きでやっていけるだろうか・・・

2008年9月1日月曜日

Arjuna:アルジュナ?Who?

Arjuna:Shining Warrior(輝ける勇士)

インドに伝わる有名な叙事詩である「マハーバーラタ」に登場する英雄。

(詳細はWikipedia:http://en.wikipedia.org/wiki/Arjuna)。

自己紹介の欄でも書きましたが、ヒンディーの先生(日本人)からいただいた、有難いインディアンネームです。

(この先生のお話は今後ちょくちょく小出しにさせてもらいます)


このニックネームをいただいたけた経緯は、図々しくも自分から、その先生に要求したことがきっかけでした。


私:インド人に一発で覚えられるようなニックネームとか、ないですかね?

先生:そうですねー、色々ありますよ。

私:やっぱ、神様の名前がインパクトあるんじゃないですか?シバとか、ガネーシャとか?

先生:普通ですねー全然インパクトはないですよ。(実際、いっぱいいるらしい)

私:何か、こう、名前聞いただけで、尊敬を勝ち取れるみたいなやつがいいっすね。誰でも知ってて、 誰からも好かれるみたいなやつ。香港人とか、よくイングリッシュネームって持ってるじゃないですか。 例えば、マイク、とか、ジョンとか。見かけはどう見ても、チャイニーズなのに、笑っちゃうようなやつ持ってる間抜けがいるんで、そんなんじゃないやつ。できれば、日本人には馴染みがなくても、インド人には絶大な支持があるやつみたいな。短いおつきあいですけど、先生も、私の性格とか、人となりとか、 随分ご理解いただいてると思うですけど。。。

先生:そうですね、それじゃ、明日までに考えておきましょう。

そして翌日を迎えるまでもなく、突然先生が、

先生:こういうのどうでしょ?(さらさらっと、ホワイトボードにヒンディーを書く)

私:それ、なんて読むんですか?

先生:もうあなたなら読めるでしょ!

私:すみません・・・・・昨日復習してません。

先生:そうですか、これは ア、これは、ル、これはジュ、それではこれは?

私;ナ?ですか?(なんとか一文字は読めました・・・・)

先生:そう、アルジュナです。

私:????それって誰????どんな意味????

先生:これはマハーバーラタに出てくる有名な勇士です。神様ではないけれど、インド人なら誰でも知っている、クシャトリア(カースト制度における武士階級)ですよ。子どもたちが大好きなスーパーヒーローだと思ってください。

私:それいい!かっこいいですねそれ。それにしちゃお!(お気軽ですみません・・・)ありがとうございます!!!!

ということで、私のインディアンネームおよびHNはアルジュナにさせていただきました。

これを機会に、マハーバーラタ読んでみよう!っと思っちゃったりなんかして。。。どなたか良い本ご存知でしたら、教えてください。

偶然ですが、私のインド人の友人のお孫さんの名前と一緒だということで、運命的な気持にさせられました。名前負けしないような人間になりたいものです。


2008年8月31日日曜日

いざ、ムンバイへ

最近なにかと話題のインドへの駐在が決まり、ムンバイへ・・・・

これから約3年超の駐在生活がいよいよはじまりました。 

スクラッチでの会社設立、そしてブランド構築につながる営業活動を軌道に乗せるということが、 私及び同タイミングで赴任した仲間のミッションとなります。

思い返せば2年前、社内の海外新規市場開拓ミーティングで、上司のかなり横暴な権限で お鉢の回ってきたこのインドへ、10回を超える出張を繰り返した結果、いつの間にか社内では(かなり差別的に)
インド人」呼ばわりされたり、「カレー(過齢?)臭い」などとさげすまれながら、ついには彼の地へ送られてしまいました。

一度は行ってみたいという個人的な興味本位から踏み出したインドプロジェクトでしたが、 いつの間にやら深みに嵌り、会社としての一大事業と位置付けられてしまいました。これも 偏にマスコミの陰謀によるインドキャンペーンの為としか思えませんが、これも何かの縁と割り切り、 人生の一時期をこの国へ捧げてみたいと考えています。

ドラスティックに環境が変わるこのタイミングで、(誰でもそう思うんでしょうけど)これまででやりたくてもきなかったこと、このインドでしかできないことに、どんどん挑戦してゆくんだ!と意気込んでます。。。

という訳で、この長いようで短そうな駐在期間の公私にわたる記録を綴ってゆきたいと思います。